大阪簡易裁判所 昭和23年(ハ)684号 判決
原告 中村幾吾
被告 柴田竜之助
一、主 文
被告に対し原告に大阪市西成区山王町二丁目五十八番地所在の木造瓦葺二階建住家南向二戸建一棟の内西側の家屋一戸中階下店の間(約二坪)を明渡し且つ昭和二十三年十一月一日からその明渡が済むまで一ケ月金七十円の割合による金員を支拂うことを命ずる。
原告その余の請求はこれを棄却する。
訴訟費用はこれを二分し各その一を原告及び被告の負担とする。
この判決は原告勝訴部分に限り原告に於て金参千円の担保を供するときは仮に執行することができる。
二、事 実
原告訴訟代理人は「被告に対し原告に主文第一項記載の家屋中階上全部及び階下店の間(約二坪)を明渡し且つ昭和二十三年十一月一日からその明渡済にいたるまで一ケ月金七十円の割合による金員を支拂うことを命ずる、訴訟費用は被告の負担とする」との判決並びに仮執行の宣言を求めその請求の原因として原告は主文第一項記載の家屋一戸(以下本件家屋と略称す)の階上全部を昭和二十一年に被告に賃料一ケ月金七十円の約にて期間を定めず賃貸した。そして階下店の間を原告と被告の共同使用とする定めであつたにも拘らず、被告は勝手にこれを独占使用するにいたり現に階下店の間と階上全部を占有している。而して原告は本件家屋全部を自ら使用する必要が生じたので所轄西成警察署に被告に対しその占有部分全部の明渡の説諭方を願出でその斡旋の結果同二十二年八月初旬被告はその事情を諒解して原告に対し本件家屋の階上全部と階下店の間を同日より向う五ケ月半以内に明渡す旨承諾した。よつて被告は尠くとも同二十三年一月十五日までに原告にこれを明渡す義務がある。仮に被告の右承諾がなかつたとしても原告は同二十二年八月初旬頃口頭を以て被告に対し右賃貸借を解約する旨の申入を爲したから爾後六ケ月の経過により契約は終了した。即ち原告は從前からせめん菓子の行商を営みその收入に依存して生活しているのであるが既に六十六歳(昭和二十四年当時)の高齢に達し近頃身心共に老衰し行商の如き体力を要する仕事を続けるに耐えられなくなつたのと妻の死後娘が家計を助けるため女工員として勤務し通勤することになつたので留守居をする者がない始末となつたのである。そこで原告は自己の健康上のことや家庭的事情からどうしても自身自宅に居ながら生計を樹てる方法を採らねばならぬ必要に迫られたので已むを得ず、その方法として被告から階上及び階下店の間の明渡を受けて右の店の間を駄菓子類小賣の店舗に充て尚階下居間(現在原告使用)のみでは狹隘過ぎるので階上を家族の寝室と仕入商品の置場に使用したいのである。更に他の事由として被告は本妻と妾をもち孰れが本妻か判らぬような風紀上黙視できない生活をしているので原告は成年期にある娘をもつ親としてその子女の教育上の点から考えてもかかる被告の如き家庭の人々と同居を続けることは我慢ができない。尚被告は本件家屋の向側に借家一戸を借り受けていて容易にこれに移轉できたにもかかわらず本訴提起後である同二十四年八月その賃借権を訴外大鳥某に金八万円の対價を得て讓渡しことさらに本件家屋の明渡を拒んでいるのである。以上の事由は原告が被告に対する右解約申入につき正当の事由ある場合に該当するものである。仍て原告は被告に対し本件家屋中階上全部と階下店の間の明渡と契約終了の後である同二十三年十一月一日以降その明渡済にいたるまで一ケ月金七十円の割合による賃料相当の損害金の支拂を求めるため本訴請求に及んだ次第であると述べた。<立証省略>
被告訴訟代理人は原告の請求を棄却すとの判決を求め、答弁として原告主張の事実中被告が本件家屋の階上全部と階下店の間とをその主張の賃料の約で期間を定めず賃借し、これを占有していること、その主張の頃原告から口頭を以つて本件賃貸借の解約の申入を受けたこと、被告が本件家屋の向側にある家屋一戸を訴外小山某から賃借(賃料一ケ月金二十五円の約)していたところ同二十四年八月頃その賃借権をその主張の如き対價を得て訴外大鳥某に讓渡したことは何れも之を認めるがその余の事実は爭う。被告は訴外佐藤泰三の仲介にて原告から最初本件家屋の階上全部と階下「店の間」及び「中の間」とを賃借したのであるがその後原告の要求を容れて「中の間」のみを返還したけれども「店の間」をその主張の如く共同使用とする約束をしたことはないし勿論原告に対しその主張のように期間を定めて右賃借部分を明渡す旨承諾をしたこともない。原告は被告から右の「中の間」の返還を受けるやこれを訴外山崎ヨシに賃貸している。原告は本件解約の事由として自己使用を主張するけれどもそれは口実に過ぎず眞意は賃料の値上げにあることは明らかである。被告は本件家屋の階上を住居として又階下店の間をラジオ営業の店舗として使用し以つて生計を樹てているので若し本件家屋を明渡すならば被告一家は忽ち住居を失い且つ收入の途が杜絶える結果に陥るから原告の右のような不当な意図に基く明渡の要求に應ずることはできない。要するに原告の本件解約の申入は正当の事由を欠くものというべきであるからその効力を生じない。よつて解約の効力が生じたことを前提とする原告の本訴請求は失当であると述べた。<立証省略>
三、理 由
原告が被告に本件家屋の階上全部(階下「店の間」の部分を除く)を賃料一ケ月金七十円の約束にて期間を定めず賃貸したことは当事者間に爭がない。階下「店の間」が右賃貸借の目的物の範囲内に含まれていたか否か考えるのに証人佐藤泰三の証言と被告本人訊問の結果によると被告は元ラジオ商を営んでいたところ戰災を蒙り一時田舍に疎開していたけれど再び大阪市内に復帰し前営業を再開する目的にてこれに適する店舗向の家屋を探し求めているうち昭和二十一年二月頃訴外佐藤泰三の世話によりその頃間借人を求めていた原告の妻を紹介され原告の妻と折衝の結果本件家屋中階下店の間と階上全部(二室)とを賃料一ケ月金五十円、権利金千五百円の定めで借りる約束ができて、同月末疎開先から本件家屋に荷物を運び込み原告に権利金千五百円を支拂い愈々部屋の引渡を受けるときになつて原告の妻から貸す部分は階下店の間と階上二室のうちの一室のみであると異議を唱えられたので再び原告夫婦と協議して初めの約束通り原告から階上全部(二室)と階下「店の間」(間口二間奥行一間約二坪の土間)を借り受けること、その代り賃料金二十円を増額して一ケ月金七十円と定める約束を爲してその引渡を受け爾來被告がこれを使用していることが認められ右認定の妨げとなる証拠はない。從つて賃貸借の目的物は本件家屋の「階上全部」と「階下店の間」とであると認める外はない。進んで被告が原告主張の如き家屋明渡の承諾を爲したか否か考えるのに証人蟻田正勝の証言によると被告は原告の依頼により本件家屋明渡の仲裁をしていた訴外蟻田正勝及び西成警察署公安係員に対し別段期限を決めることもなく只誠意を以つて原告の明渡要求問題を解決する考えでいる旨表明していたのに過ぎないことが認められ右認定に反する原告本人の供述部分は信用しないし原告の提出援用の証拠によつてもその主張の如く被告が該承諾を爲したとの事実を認めるに足る証拠はないから之を理由としての明渡を求めることはできないものと謂うべきである。原告がその主張の頃被告に対し本件賃貸借契約の解約の申入をしたことは当事者間に爭がない。そこで解約につき正当事由があるか否か考えるのに原告本人訊問の結果によると原告は当六十六歳に達し昭和二十一年三月二十四日その妻と死別して以來その娘(当十六年)との親子二人暮しで妻の死後約二年間民生委員により生活の救護を受けたこともあつて現在セメン菓子の行商を営みこれによる僅な收入により辛じて生活を立てていること、その娘は家計を助けるため曾て女工として働いていたがこれを辞め現在家に在つて徒食していること、本件家屋の間取は階下が店の間(約二坪)と三疊、四疊半の二室階上が四疊半二室であるところ原告は右認定の如く被告が使用している部分を除いた階下の三疊、四疊半の二室をその娘との二人の住居として使用していること(尤も原告は妻の死後一時右三疊一室を訴外山崎ヨシに賃貸していたけれど同人は既に轉居し現在は再び右二室を使用するにいたつたこと)原告はその妻を失つて以來自己の年齢、体力、家庭の境遇を考え從來の行商を続けるに耐えられずとし又後記のような被告の家庭の雰囲気を著しく嫌惡し且つ被告の妻女と些細なことにつき日常紛爭が絶えず同居を続けるに忍び難いから寧ろ被告からその賃貸部分全部の明渡を受け「店の間」を使つて駄菓子小賣の商賣を始めようとの考を起し妻の死後間もない同二十一年六、七月頃から被告に前記賃貸部分全部の明渡を求めていることが認められ一方被告本人訊問の結果によると被告は本件家屋階上の四疊半二室を住居とし、現在内縁の妻春子と子供二名の計四名が住んでいて階下店の間を賃借当時から店舗としてラジオ修理業を営んでいたけれど同二十五年七月頃該営業を廃止したこと、被告は本件賃借当時その妻とし子が妊娠中であつた関係上妻をその実家に留め妾としゑと共に本件家屋(階上)に於て同棲生活をしていたところ間もなく妻とし子がこの家に帰つて來たので向側の借家一戸(被告の自認する訴外小山から賃借した家屋)を借り受けとしゑをこれに移し住はせ本件家屋(階上)に於て妻とし子と暮していたところ、その不行跡なことがあつて遂に同二十五年六月頃協議離婚し更に妾としゑとも別れ、その後前記の春子と内縁関係を結ぶにいたつたこと、そしてラジオ修理業を罷めた後現在ダンスの教師を爲し内妻春子もダンサーとして被告と共稼ぎによりその收入のみを以つて一家の生計を維持している外他に財産は勿論移轉できる住居を有していないことを何れも認めることができる。
以上の事実から考えてみると原告がその年齢体力に鑑み又妻の死という予期せぬ不幸な出來事等から將來の生活方針につき焦慮しその主張のような計画を思いつき、又元來共同生活に不適な日本家屋に相互に感情のもつれを來した二家族が同居し、日常の摩擦から生じる不愉快な生活状態から離れるため被告に本訴明渡を求める原告の気持は判るけれども、飜つて前段認定の通り原告が本件家屋を被告に賃貸するにいたるまでの経緯殊に賃料に比べ相当多額の権利金を收受していること、一時的にもせよ被告に貸與した後僅に残つていた階下二室のうち、その一室(中の間)をも訴外山崎ヨシに貸していたこと、又被告本人の供述によると原告は被告に本件家屋を賃貸する以前もこの階上の部屋を他人に賃貸し、その他人との賃貸関係が解消せぬ間に被告にこれを貸す約束をしたことが窺われるのであつて、これ等の事実を併せ考えると原告は從來本件家屋の大部分を所謂貸間として收益を図り経済的に運用を爲す方針であつたものともいえるから、その妻の死を機会に自己使用を云々するのはいささか原告の自己本位の勝手な考えとの譏を免れ得ない。被告としても折角苦労して探し求め、その頃としては多額の金員を投じて借り受けたこの家屋を僅か半歳足らずで原告から明渡の請求を受けようとは夢にも考えなかつたに相違なく、突然原告からこの要求を受けこれを不快とし、彼様なことから双方不仲となり紛爭の一因を爲したことは想像に難くないし、その不和の原因にいたつては必ずしも被告にばかりその責があるものと認められない。そして被告の從來の家庭の環境が前認定の通りであつて右は道義的観点からすれば確に非難もされようが、この事実と原告提出援用の証拠によつても尠くとも現在に於ては原告が被告とこれ以上同居生活を続ける辛抱ができない程被告に非難される点があるとは考えられない。そこで原告はその娘との二人暮であるから現に使用している階下中の間(三疊)と奥四疊半の二室を以つて住居としてはこと足り、新に階下「店の間」の使用ができればその主張する商賣を営むことが可能であつて生活の方針も立つ訳であり、又被告は既に前記営業を廃止し別の職業に就いているのであるから本件「店の間」を原告に讓つても生計に支障なく、階上全部(四疊半二室)をこのまま継続使用できれば住居に不自由することはない訳である。このように原告被告双方の事情を考慮すると、原告の前記解約の申入は本件家屋階下の「店の間」の部分の明渡を求める限度に於て正当の事由があり、從つて本件賃貸借は右に認めた正当の事由の存する範囲に於て解約申入れの日である昭和二十二年八月初旬から法定の六ケ月の経過により終了したことになるから、被告は原告に本件家屋のうち階下「店の間」を明渡し、且つ被告が同二十三年十一月一日以降賃料の支拂をしたことについては被告の主張立証しないところであるから右賃貸借の一部終了後である同日以降右明渡が済むまで賃料と右明渡部分に対する原告の使用を妨げたことによる損害金との合計額に相当する一ケ月金七十円の割合による金員の支拂を爲すべき義務がある。仍て原告の本訴請求は右に認定した被告の義務の履行を求める限度に於ては正当であるからこれを認容することとし、その余は失当であるからこれを棄却し訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九十二條を、仮執行の宣言につき同法第百九十六條を適用して主文の通り判決する。
(裁判官 若木忠義)